AMATSUN’s blog

50代サラリーマンのセミリタイア

転職の話5

この私のブログではアーリーリタイアを目指す背景となったこれまでの複数回の転職のことについて書く予定ですが、まだ4回しか書いていませんでした。

なかなか本題に行けないのは、自分のプライバシーへの懸念から、アーリーリタイア実現近くまで引っ張ろうと思ってますが、それだと先になってしまいそうなので、今日は少し書いてみたいと思います。

これまで一桁台後半の回数の転職をしてしまいましたが、そのうちの外資系を退職になってしまった際の経験を、参考になればとして書きます。

1.外資系部長のポジション

まずそこへの転職は、ポジション(部長)と年俸にひかれたからでした。しかし、さほど英語も得意でなく、また外資系での役職者での経験もないのに、それまでの経験などが私の市場価値がインフレ的に高い評価になっていて、それを梃にできた転職でしたので、最初から実力不足だったのだと今になっては思います。

外資系では、「ダイレクトライン」の上司と「ドットライン」の上司がレポート先としてあります。私の場合、ダイレクトラインの上司は海外本国の部門ヘッド、ドットラインは日本法人の社長、更に影のドットラインがあり、日本法人の日本人の人事担当役員。非常に人間関係というか立ち回りが難しいものでした(辞めてから振り返るとですが…)。先述のとおり、英語がそれほど得意でないこともありましたが、自分の当時の専門分野のノウハウがそれまで上場日本企業のものであって、未上場会社の外資日本法人では活かせない専門性でもあったほか、まあ、何よりも立ち回りの高度な政治的な振る舞いはできず(今でもできませんが)、また部長としての部下のマネジメントも日本企業的なものは外資ではちょっと違う。。。。

 

2.リストラ始まる/自分も売られていた

それでも3年目に入った頃に、後で知ったのですが、本国本体での大きな再編とリストラが始まり、まずは周りにいる日本人部長のうち、①50歳以上の人、②英語が得意でない人(外資に買収された先だったので、元々いた人はみな得意でない)が、狙い撃ち的に急に辞めていく。。。。当時の私は40歳前半で勘違いの自信をもっていて、自分は関係ないと思っていました。その次に、ダイレクトレポートラインの外国人上司が夏前に急にアーリーリタイアだと言って辞めていったあたりで、自分も怪しいかもと少し警戒し始めました。その8月頃に、私の会社メールアドレスに知りもしない、登録もしてもいないヘッドハンティング会社からいい話があるか会わないかとダイレクトメールが来ました。私の会社のアドレスを知ってるのがおかしいでしょうなのですが、この時もへんな自信で会うだけあってあげるぜと会いました。普通、ヘッドハンティング会社、エージェント会社では一人しか出てこないようなところ、3~4人出てきて、それでも上から目線を気取り、今の会社で上に上がっていくつもりである趣旨で「どういう案件」かもあえて聞かずに引き上げました。帰り際に、「いい話なんですけどね…」と言われたことを覚えています。

多分、会社に私は「売られていた」のだと思われます。リストラ対象リストに載っていたのでしょう。こういう場合は、ほんとは「乗る」べきだったと思われます。

そんなこともありましたが、自分自身、どこかで未上場会社の外資系日本法人は自分には合わないと感じてもいたので、9月くらいから転職活動をしました。この同時期の秋から冬にかけ、親会社が同じ別の日本法人の同様の部署のヘッドから突然、訪問したいという話が来て、まあ会ってあげましたわ(笑)。ただ、その時もその人は何かを探っていいる、また「何か聞いてる?」とか言ってましたが(笑)。

まだ、この頃は自分に市場価値があったのでしょう、すぐに今では有名になったインターネット・サービス系の会社の複数回の面接を通り、11月末に最終の意向確認を求められました。そこで、また私は悪い虫が出て、「まだこの会社で大丈夫だろう」と思って、12月上旬に断ってしまいました。

その12月のクリスマスが近くなったある日、影の上司の人事担当役員から急に呼び出され言われたのが……そうです。年明け3月までは在籍保証する、今のポジションは親会社が同じ別の日本法人の部長が転籍してくる、4月以降も残るならマネジャー(課長)に格下げという内容でした。私は絶句するとともに、一言だけ同役員に言ったのは、「もう少し早く言ってほしかった(なぜなら断ってしまったインターネット会社の口があったから)」と言いました。たぶん、夏から秋には「決まっていたこと」だったのでしょう、弱気なことを絶対言わないその役員が一言(もっと早く言ってほしかった)については「すまない」と言ったので余計にわかりましたね。この役員は、常に強気をふるまう人ですが、実が心が弱い人で、人に面と向かって厳しいことを告げることは苦手で、ずるずる年末が近づいてあわてて告げたのでしょう。

3.退職までの4か月

もう年末で転職エージェントもお休みに入ってましたし、年明けても春までは転職案件は少ないでしょう。容易に想像できて、とてもつらい年末年始を過ごしました。

年明け1月にもう早速、別の日本法人から「部長」が来ちゃいました。いきなし、私は課長待遇のマネジャー降格です。その来た「部長」はこの時に既に58歳で、元の日本法人の方は課長が部長に昇格してましいた。要は、役職定年だったところ自分で政治的にも動き、私のポジションを奪ったのでしょう。来た際に私に言っていたのは、結婚が遅くて子供がまだ高校生なのでごめんね、あと数年いたらその後はまた君が部長をやればいいとか言ってましたわ。。。

そのまま残る気はなくなり、転職活動再開しましたが、それまでと変わって急激に引き合いがなくなり。。一方で、これは上乗せ退職金(パッケージ)をもらわないと合わないと思い、その交渉をすることにしました。その交渉の代理人として、私のポジションを奪った「部長」(私がいる限りにおいては上司ですし)にさせました。途中なんでこの役割を自分がやらなきゃならないんだとか言ってましたが、あんたの高校生の子供のためだろうと。

4.上乗せ退職金(パッケージ)

自分は中途で3年しかこの日本法人に在籍でなかったので、正直、「相場」がわからず「会社側」から「数字」が出てくるのを待ったのですが、3月末になっても交渉が進捗しない中、もう、自分の降格された立場で会社に通勤するメンタルもなく、「会社側」とブレイクするのも怖かったので、「控えめ」な数字で出したら、一発OKになってしましまいました。ドストライクな金額だったのでしょう。もう少し「高め」の数字を言えばよかったと後悔しました。

5.最後に

結局、4月末で辞めました。次の転職先は、意に反するものにならざるを得ませんでした(ここの話は本日は省略)。12月から4月までの4~5か月、ほとに精神的につらいものでした。結局、以前の最初の最初の転職先の会社を辞めるべきでなかったということの序章です(もう一つ、その前の序章もありますが別の機会のネタです)。

6.いくつか後日談

まず、11月末にオファーをもらっていたインターネット系の会社には、12月に「会社側」から告げられた後に、エージェントを通じて「復活」をお願いしてみましたが、「一度断っておいて何事か」という反応だったようです。この会社の面接等の際に上級役員2名の方とお会いし、その方々の下に入るオファーだったので、その方々らがその後にご活躍を見聞きするたびに、残念と後悔を感じてきたものですが、今はもうお二人ともその会社にはいないですね。

最近、自分が受けた上記のリストラみたいな経験を、同年代の人に対して「する」ことがありますが、全く気になりませんね、やる側として。

今日は、長くなってしまいましたが、皆さん、気を付けましょう。