AMATSUN’s blog

50代サラリーマンのセミリタイア

仕事17(連投のむしゃくしゃと忘れる技術)

昨日の記事、私の過去の職場の成功した人がビジネス誌のインタビュー記事で、15年超前の「私のこと」と思われる(いや間違いないのですが)ことを書いていたことの続きです。夜になってもうやっぱりむしゃくしゃ止まらず、数少ない知り合いにLINEで吐き出したりしました。まあ、過去のことなのですからというのがみなのアドバイスなのですがね。

それで以前のブログ記事でも書いたかなあ、、「忘れる」ということの重要性についてまた自分のためにも書きます。

その前に、まーだむしゃくしゃするので、もう少し吐きますね。

その「私のこと」と思われるビジネス雑誌のインタビュー記事の箇所はですね、要は、その人と私は部下/上司の関係だったんです、1年くらいいだけ。それで、そのお方は、当時、直属の上司(私ですね)は感情の起伏が激しく(これは正しい、未だに完全には変わっていない)、それで鬱になりかけたと。それで悩んでいたら、その上司(私ですね)が異動になってくれて助かったと。その直属の上司が抜けて、役員と直接のレポートラインになっていろいろ成長していったと。まあこういう内容なのですが、いわゆる年表付きの記事なんで、明確にピンポイントでそこの登場人物は特定できる訳ですよ、その会社の中の人や当事者の自分は。もし私がまだその会社にいたら、ここまで特定して書けないでしょう。前後の経験談も、困ったときに踏ん張ったら、見ている人がいて助けてくれたというまあ女性のキャリア形成へのメッセージなのですがね。

ただ、その「見ていている人がいて必ず助けてくれる」は美談ですが、私は具体的に知っていて、私の上記の異動はその助けてくれた役員とやらにそのお方は直接相談に行って、私を飛ばしてもらったというものです。前後で「助けてくれた人」と書いている人物は、この出世されたお方が新卒で入社してからずっとなのでしたが、その出世されたお方を可愛がって「助けて」いた「役員」です。他の記事の箇所でもその「役員」が「助けている」わけです。

まあ、今思えば、会社という「えげつない(表現良くないかあ)組織」で「あるある」のことなので、気を付けて対応し、不適切であるかのごとく言われない振る舞い、マネジメント発揮をしなきゃいけないのです、確かにね。

ちょっとそれますが、私はこの当時の「異動」が不満のことが最大の理由でその会社を辞めたのですが、その後の会社数社で、逆にパワハラめいた目に数度会いましたが、まあ誰にも助けることを求める、声を上げることはできなかったですね。。。

この出世されたお方は、私が辞めているという事実のほかに、他の当時の私に関する事情を未だに踏まえた上で、ここまで辛辣に(特定できるかもしれないけど)書いたのでしょう、それこそ「名誉侵害だ」とか言われても戦えるとかいうぐらいまで考えたのでしょう。。勝手に記事も出ないでしょうから、社内のかなりの上層部のチェックも受けた上でしょう(そういうことに抜かりない、確かに大変頭が良く仕事もできる方でした)。
しかしですね、そこまで理論武装してまで、15年前超の人が至らなかったことをこう書きますかね、もう少しファジーにして書くという品性はないのでしょうかね。

このビジネス誌の出版編集部に感情的な苦情を言おうかと、昨晩、苦情受付のメルアド探したのですが、見つからず、まあいっかで寝ました。

なんか、本件に関する前回記事の続きになってしまいましたが。

 

さて、今、私が考えている行動していく道しるべを最後に記します。これ、以前書いてるかもですが。

昔、そうこれも約15年前、当時の東京高等裁判所の所長の裁判官からの講義で聞いた話です。人と人との紛争は、何によって最も解決されているかというと、それは「忘れる」ってことでなされているのですよというものです。

法律の専門家がそう言うことに、当時も感動したのですが、まあ要は「忘れるしかない」ですわな。日々、数分前のことは忘れるような歳になったのに、「悔しかったことや触れられたくないこと」は「忘れられない」のですよねー。

で、「忘れられない」でいますね、だけど「忘れるようにしよう」と思います。

このコロナ禍、そしてこの梅雨の季節で、家の中ばかりにいるのですが、これもよくないですね。たいした用事や、出かけて遊ぶとか、好きなゴルフもほとんど天候で行けないので、ならばちょこちょことした用事でも出かけたりするようにして「忘れる努力」をしていこうと思います。